今年でガチャガチャが誕生して51年に突入。50年の節目はガチャガチャメーカーにとっては通過点にすぎすません。これからも大人から子供まで、ドキドキ、ワクワクするようなガチャガチャを作っていくます。
ガシャポン・ガチャガチャライター・評論家のおまつです。

10円ガチャガチャをし、子供たちは必死に駄菓子屋に向かった時代もあったんです!

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1965年に東京・台東区からペニイ商会(現:ペニイ)がガチャガチャの筐体をアメリカから輸入した始まったガチャガチャの歴史。

初めてガチャガチャがメディアに取り上げられたのは、ぼくが知る限り、朝日新聞社から発行した週刊アサヒグラフの1986年の1月28日号です。
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この表紙を見てわかる人はかなりの野球ファンではないでようか。

表紙の写真は、南海ホークスの村上 雅則投手。10代や20代にとっては、南海ホークスという球団があったこと自体知らない人は多いはずです。

 

その南海の村上投手が表紙に飾ったアサヒグラフに、ガチャガチャの特集が組まれていました。
1986年といえば、日本は高度成長期で真っ只中、至る所に高層ビルが立ち並ぶようになっていった時代です。
 

なんと、モノクロ・カラー含めて5ページも特集が組まれるなんて、子供にとってガチャガチャがいかに人気があったかがわかります。

ガチャガチャ特集の表紙は、両面にわたり、たくさんの10円ガチャガチャ!

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今と違ってアニメや漫画のガチャガチャというより、輸入品も多かったせいかオリジナリティ溢れるガチャガチャがたくさんありました。

特集では、笑顔満面でガチャガチャに夢中になる子供たちが取り上げられています。
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「10円で世界の玩具を集めよう}というキャッチコピー!!
米国直輸入ペニイ自動販売機の看板、懐かしさで、ガチャガチャ好きには涙がでるくらいの光景です。
 
ガチャガチャのクオリティは別として、10円玉をもって駄菓子屋さんやおもちゃ屋さんの店頭に並ぶガチャガチャに、本当に子供たちは夢中でした。

スマホをはじめ、ニンテンドーDSなどない時代、子供たちは、外に遊び駄菓子屋さんでお菓子を買う、まさに映画の「三丁目の夕日」の時代ですね。

この時代があったからこそ、ここがガチャガチャの原点であり、これから今野産業、ユージン(現:タカラトミーアーツ)、バンダイのガチャガチャが誕生していくんですね。

今では、エポック、海洋堂、奇譚クラブなど様々なガチャガチャが毎月多くの誕生しています。

昔と今と変わらないのは、2つ。

一つは、ガチャガチャを回すときの子供の笑顔は、今も変わらず特集に掲載されている子供の笑顔は素敵です。

もうひとつは、その笑顔をつくるために、ガチャガチャメーカーは日々奮闘していること。

確かに、時代が変わり、売上重視、マーケティング重視になるのは時代の流れかもしれません。しかし、作り手の根底にあるのは、ガチャガチャのドキドキ、ワクワク感を子供たちに提供したい想いは今も昔も変わらないはずです。

 では、また、またね!(提供:ガシャポン・ガチャガチャライター・評論家おまつ)
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追伸:この記事は、今野産業さんの亡き今野会長をしのび、書きました。
今野会長の思いが詰まったバイ菌軍団は、ぼくにとって思い出のガチャガチャの一つです!
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